上司「ワシの時給いくらやと思っとんねん!(激怒)」【会社を使い倒す話】
昔の上司は怖くて有名な人だった。
関西弁でよく怒鳴る上に見た目もヤクザみたいな感じだった。
短い間だけだったが、ある日、その人が私の上司になった。
数日経った頃、その上司に対してあるプロジェクトの進捗報告をするよう言われて説明していた。
そして突然こう怒鳴られた。
ワイ「えー、このようなデータが得られました。えーと、このデータからこういうことが推定されます。えー、つまり言い換えると…」
上司「ワシの時給いくらやと思っとんねん!(怒声)」
念のために言うと、上司が「時給」と言っているのは、もちろん上司の雇用形態が時間給で働くアルバイトということではない。
正社員の管理職なので当然裁量労働だ。
いくら残業しても上司の給料は変わらない。
上司の仕事を時給換算したらすごく高いんだ、だから会社のためにも時間を効率的に使わなければならないんだ、そういうことだ。
もう少し意訳すると、お前の説明は長すぎるから端的に話せ、と言っているのだ。
決して「あんたは残業しても給料が変わらないんだからもっと時間をかけても人件費は増えないだろ」と反論する場面ではない。
私は「すみません」と謝って説明を短く切り上げた。
その後、上司はそそくさと帰っていった。
何か用事があったのだろう。
こちらもイチイチその上司に詳しく説明する必要など無いと思っていたのに、説明に来いと言われたからわざわざ行っただけだった。
なので少し理不尽な気はしたのだが、それはさておき、この「ワシの時給いくらやと思っとんねん!」というのは重要な示唆を与えるフレーズだと思っていて、今でも心の中で呟くことがある。
私は昔、節約のために苦労することは美徳だと思っていた。
例えば、野菜ジュースをネットで買って家まで届けてもらうよりスーパーでまとめ買いした方が数十円安いからと、わざわざ買い物袋が破れるくらいの大量の野菜ジュースを買って息を切らしながら歩いて持って帰っていた。
でも、今の自分だったら小金よりも時間を節約する方を選ぶ。
私は年収5000万とかの高給取りな訳ではないし、そもそもプライベートの時間なのでその時間に対しての給料は発生しない。
それでも、その節約で得られる数十円を稼ぐために必要な労働時間は実は1分以下で、しかもこの節約によってストレスも溜まる。
費用対効果の話は得られる価値以上の費用をかけるな、という趣旨でよく語られるが、これは明らかに費用をかけるべき場面だ。
私は元々貧乏学生だったので、当時はとにかく少しでも安い方がいいと思い込み、その癖がついてしまっていたのかもしれない。
すごく無駄な苦労をしていた。
もちろんうまく節約することはとても大事なのだが、私のように小さすぎる人間にとっては前述のフレーズに価値があるのだ。
仕事でもそうだ。
自分でやろうと思えばできなくはないけど時間と労力が必要で、自分にとってそれほどプラスの経験にならないような仕事であれば、専門業者に依頼してやってもらいたいと思うことがある。
とはいっても経費削減のために反対されることもない訳ではない。
そんなときにこのフレーズを思い出す。
ワイ「この注文の承認をお願いします」
上司「ワイさんなら外部に依頼しなくても自分でできるんじゃない?」
ワイ「ワシの時給いくらやと思っとんねん!」
※もちろんこのままの言葉では言ってない