意識中くらい系ゆる社員

会社の使いこなし方を模索するゆるい会社員。会社を使い倒す話とゆるい生活のための知恵、雑談ネタ。

オードリー若林「父親が死んだ後の方が父と会話している気がする」

今週のお題「おとうさん」



このブログであまり湿っぽい話を書くつもりはなかったが、2年ほど前に私の父が亡くなったとき、同じ境遇の人のブログを読むことで多少気持ちが救われたことがあった。


なのでこの機会に私の話も少しだけ書いてみようと思う。



私は自分のことをもっと冷たい人間だと思っていた。


私と父は仲が悪くはなかったが、一般的に見れば「仲の良い親子」ではなかったはずだ。

会うのも年に1日〜2日程度。

私は常に親のことより自分のことを考えて過ごしていた。


遅かれ早かれ人はいつか必ず死ぬ。

もし父が死ねばもちろん私も悲しむだろう。

でも子供の頃と違って大人の今であれば、それを自然なこととして受け入れることができ、数日経てばいつもと変わらない日常を過ごせるだろう。

そう思っていた。

実際に自分の父の死に直面するまでは。


そんな考え方だったので、昔は友人のお父さんが亡くなったときもそこまで大きなこととして捉えていなかった。

テレビでいつまでも親の死を嘆いている芸能人がいれば、大袈裟なパフォーマンスをしていると感じて冷めた目で見ていた。

いつか親が死ぬのなんて当たり前だろ、と、極端に言えばそんな風に感じていた。


だが、それは親が死ぬということの衝撃を過小評価していただけだった。

父が亡くなった後、人前では極力泣かないように我慢したが、一人になると毎日のように泣き崩れていた。

そういう状態から脱出できたのは、父の死から半年以上経った後だったと思う。

こんなことは子供の頃でさえなかったことだ。



頻繁に会って話をするような仲の良い親子だったならともかく、稀にしか会わない親だったなら何故そんなに悲しむのか、と思う人もいるかもしれない。

これは私の場合の話だが、むしろ父との時間を多く過ごさなかったからこそ辛いのだと思う。

今思うと父は時々入院することがあった。

でも会いに行くといつも元気で、すぐに退院していた。

まだまだ先があると思っていたのに突然亡くなってしまったので、もっと話をしておけばよかった、もっと親孝行しておけばよかった、といった後悔が残ってしまうのだ。


私が実家に帰ると父はいつも喜んでくれた。

私は父から酷い仕打ちを受けたことも全くない。


ただ、ときどき所謂空気が読めていない発言をすることはあり、多少鬱陶しいところはあった。

私があまり実家に帰らなかったのはそのことも理由としてない訳ではなかったが、実際には父のせいでも母のせいでもない理由の方が大きかった。


進学に際して実家を出たときからしばらくの間、私は自分の人生が著しくうまくいっていないと感じていた。

殆ど引きこもっていた時期もある。


私が実家に帰れば両親は喜んでくれるが、それは自分たちの子供だからであって、私自身が素晴らしい人間だからではない。

仮にそのときは良かったとしても、先に死んでしまう親に一生頼ることなどできるわけがなく、いつか必ず一人で世に放り出される。

そのため、実家に帰ったときに自分の子として特別扱いされることで、かえって実世界での自分の価値の無さを意識することになった。

そういう私の個人的な内面の事情によって、実家にはたまにしか帰らなくなっていた。


また、大人になるまで育ててもらったにも関わらず、以前は父に対してほとんど感謝していなかった。

母親が専業主婦であった場合、だいたいの子供は母親の方に対してまず先に感謝するようになるのではないだろうか。

専業主婦やパート勤務などの母親であれば家にいる時間が長いので、家事をやってもらっている様子を頻繁に目にすることになる。

一方、私の父のように親が一日中外で働いていれば、その場面を子供が見ることはほぼない。


毎年「父の日」と「母の日」があるが、父の日はイマイチ軽んじられてしまっていることが多いと聞く。

私もそうだった。


でも自分が働く立場になると、一家の大黒柱の辛さが分かるようになる。


もし家族がいなければ、稼いだお金は自由に使える。

あるいは、家族がいなければ、自分が過ごせるだけのお金さえ稼げばいいので、仕事はパートでもなんでもいいし、自分が最も満足できるように人生設計すればいい。

しかし、家族、特に子供がいることで、ある程度以上の金額を稼がなくてはならない上に、稼いでもほとんどのお金を家族に持っていかれてしまったりする。

子供を食べさせた上、高校、大学と進学させるのは大変だ。

でもそれが辛くてもある程度やらざるをえない。

だからどんなに仕事が嫌でも簡単にはやめられない。

家族がいるせいで極限まで精神的に追い詰められている一家の大黒柱もたくさんいるんだろうと想像する。


父が入院してお見舞いに行ったある日、私が帰る直前に父はこう言った。

父「ぽんと(私の名前)はお父さん達が何も言わないのに昔から全部自分で考えて進学先も決めて、今はちゃんと稼ぐようになっててすごいねぇ。」

ワイ「お父さんが大学まで行かせてくれたからだよ。ありがとう。」

父「いや、ぽんとが頑張っただけでお父さんは何もしてないけどね」


このとき、私は泣きそうになった。

断っておくと、私は決してエリートでもないし、大金を稼いでもいない。

上記の言葉は父の過大評価だ。

高校生や大学生の頃、私は本当に将来のことを何も考えず、勉強も身を入れなかったし、仕事も別になんでもいい…というか、むしろ一生働きたくないと思っていた。

田舎の子供だった私はこの社会の現実を全く分かっていなかったのだ。

その割には一応まともな社会人になったことに父は多少驚いたのかもしれない。


しかし、社会の荒波に揉まれるようになると、やはりもっと昔から頑張っておけばよかったと後悔することがある。

そんなとき、父や母がもう少しこの世界の現実を教えて頑張らせてくれていたらなぁ、と少し恨むこともあった。

私の両親はその辺の進路の話に関しては完全に放任主義だったのだ。

それに漬け込んで自分の努力不足を両親のせいにしていた。


だが、病床の父から上記の言葉を言われたとき、今の自分があるのはやはり父(と母)のおかげなのだと気がついた。

子供の頃から特に努力してきた訳でもない私がなんとかまともな社会人になれたのは、大人になるまでご飯を食べさせ生活を保障し、進学に際しても無気力で将来の見込みが薄い私にさえ快く学費を出してくれたからだ。


私がいなければいくらの出費が抑えられたのだろうか。

父は私がいなければもっと他のことにお金を使って人生を楽しむこともできたはずだ。


仕事をするだけで家にほとんどいないような親は批判されることもある。

でも私からすると、子供のために家に必要なお金を入れるだけでも十分に身を削っているように感じる。


そうやって身を削って投資してもらった結果、私のような人間でも平均的な日本人よりは多少稼げるようになったが、結局その投資のリターンが父に回ることはほとんどなかった。


そのことをとても後悔している。



オードリーの若林さん(芸人)もお父さんを亡くされているようだが、あるときこんなことを言っていた。

「父が亡くなってからの方が父と会話している気がする」

昔の私がそれを聞いたら何かおかしなことを言い出したのかと思ったかもしれない。

だけど今はその気持ちが分かるし、とても面白い表現だと思う。


私の父は仕事でとても成果を残した人だった。

一般には有名人でもなんでもないが、父のことを知って訪ねてくる人は多かったようで、世界中に知り合いがいた。


私も仕事で成果を残したいという気持ちが出てきた。

そう思って頑張ってみても、今のところ思っていたほどうまくいっていない。

でも、そうやって頑張っているときにふと父が昔言っていたことを思い出したりすることで、不思議と父と会話しているような気分になることはある。


もちろん本当は亡くなっている人と会話などできるわけがない。

でも「父のように頑張ろう」と思って行動することが、父に近づける唯一の手段のように感じた。

実際には錯覚だが、結果として前向きなエネルギーになるのであれば錯覚だからと切り捨てる必要もない。


たぶん、若林さんの言葉も私と似たような感覚から発せられたのではないだろうか。


もし身近な人がなくなって辛いという人は、何か前向きなことに打ち込んでみると、気持ちを楽にするためにはむしろ有効かもしれない。