意識中くらい系ゆる社員

会社の使いこなし方を模索するゆるい会社員。会社を使い倒す話とゆるい生活のための知恵、雑談ネタ。

1週間前ワイ「令和グッズとか誰が買うんだよ」→1週間後ワイ「令和まんじゅうくださぁあいぃ」



ついつい令和まんじゅうなんてものを買ってしまった。


元号発表から約1ヶ月。

予想通り、すでに多くの令和グッズが発売されている。

令和と書かれたお菓子や、令和Tシャツなどいろいろだ。


私はどちらかというと冷めた人間なので、それらを「しょうもない」「馬鹿しか買わないんじゃないのか」と思いながら見ていた。


ただ、もし令和グッズを誰かにあげたら、もらった側としては誰かに話すための小さなネタになるかもしれない。


「令和まんじゅう、味は普通だったよ」

「令和グッズとかいらないよぉー」

「さっそく令和商戦にのせられてる馬鹿がいたわ」


特に笑いが起こる訳でもないし、みんな表面上は口々に冷めた感想を言うだろうけど、小さな話題ができて内心では少しだけ喜んでくれるかもしれない。

ほんの数十秒の話題としてでも使ってもらえるなら一応あげる価値はあるか。


平成の最後に不思議とそんな心境になり、出張のお土産としてあえて令和まんじゅうを買ってみることにした。


ついでに今のうちに平成グッズを買っておいて何年か後に誰かにあげたらどうだろうかとも考えたが、さすがにそれはやめておいた。

ギリギリ平成の今、自分が昭和グッズをもらったときのことを想像してみると、あまり話題にもしないだろうし正直全く嬉しくない。

だから冷静に考えると、令和時代に平成グッズをあげても相手は無反応な気がした。


購入した令和まんじゅうのお土産を渡したまでは良いが、パッケージには令和の文字が無かったので、残念ながら相手の反応は見れなかった。

もしかすると私の目論見は外れ、今頃ただただ無表情で食べられているかもしれない。



遅刻・定時退社・早退をしやすくする方法〜高給で働くママさんの話〜【会社を使い倒す話】



ドラマ『わたし、定時で帰ります。』の第2回は、働くお母さんがテーマだった。

産休から復帰した賤ヶ岳(という名前)は、ある日、子供が熱を出してしまい、本心では早く仕事を切り上げて帰りたいと思う。

しかし、同僚達に無理をお願いしている手前、自分が先に帰る訳にはいかないと悩んでしまう。



私の会社に、よく遅めに出社するだけでなくほぼ毎日定時で帰り、さらには頻繁に早退する子持ちの女性がいる。

しかし、今のところそのことに同僚達が文句を言っているのは聞いたことがないし、むしろ頼りにされている。

もちろん私も何も思わない(私も早く帰りたいから)。


このような働き方でもこの女性は一般的な会社員の倍くらいの給料はもらっているはずなので、一応そこそこ高給といえる。


定時で帰れない理由としてよく仕事の効率の話が出てくるが、実際には周りの目が気になって帰りにくいという問題もある。

ここでは、遅め出社・定時退社・早退を繰り返しているにも関わらず、何故この女性は頼りにされ続けるのかということを書いてみたい。


(1)その人にしかできない仕事がある


毎日定時で帰り、そこそこ頻繁に早退する。

子供の都合で遅めに出社することも多い。


それでもこの人はとても頼りにされている。


それは仮に労働時間が短くても出社してほしい理由があるから、すなわち、その人にしかできない仕事があるからだ。


その女性は難関資格(税理士とかくらいの難易度)に合格しており、その知識を武器に仕事をしているが、それ以外にも複数の専門性を持つ。

専門分野1つだけなら他にできる人はそれなりにいても、専門分野が重なるところの仕事をできる人になるとかなり数が限られる。

この女性はこの複数の専門性が重なる部分の仕事を主にやっている。

仮にこの女性の上司が「ワシはこんなに頑張って遅くまで働いているのに、こいつは早退ばかりしやがって」と思ったとしても、その仕事を代わりにやってくれる人を見つけることや育てることは簡単ではないので、結局許すしかないのである。

実際問題として、他の人にできない仕事"だけ"でもやってもらえればマネジメントする側からすれば有難いのだ。


この女性が、子育てしながら働くときのことを考えて資格を取得したり専門性を磨いたりしてきたのか、ただ仕事やスキルアップを頑張っていたところに子供ができ、結果的にそのようなスタイルになったのかは分からない。


いずれにしても、このような働き方ができるようになる前には、ガムシャラに働いたり勉強した時期があったはずだ。

実は何の努力もしなくて長時間労働もしないのに高い給料をもらえる訳ではなく、やはりどこかの段階で自分の時間を削っているのだ。


(2)いざというときはめちゃくちゃ長時間労働する


重要な場面だけは、この女性もめちゃくちゃ残業をするし、稀だか土日に仕事したりもする。

そのときは、お子さんの世話を親や旦那さんにお願いするか、託児所のようなところに預けているようだ。


普段は業務量をセーブしているが、いざという時にはちゃんと仕事をやりきっているので、周囲から信頼される。

遅め出社や早退をしても、必要になれば頑張ってくれるからまぁいいか、と周囲の人達に思ってもらえる。


(3)一応申し訳なさそうに帰る


本来は何も申し訳なく思う必要などないのだが、理由があって申し訳ないけど定時前に帰ります、という方が周囲の心象は良い。

特にこの女性は早く帰るからといって楽をしている訳ではないので、周囲の理解を得やすい。


子供がいなくても、余計な衝突を避けたいのであれば何かしら理由をつけるのも一つの手だ。


私のように「よっしゃあ!定時前に帰ってやるぜ!」という感じで嬉々として帰ってしまうと場合によってはひんしゅくを買うので気をつけてもらいたい



ドラマ『わたし、定時で帰ります。』ワイ「定時で帰るどころか毎日遅刻します。」【会社を使い倒す話】



今、『わたし、定時で帰ります。』というドラマが放送されている。

ゆるい会社員の私は内容が少し気になり初回を見てみた。


余計な仕事をできるだけ避けて効率よく仕事を終わらせ、毎日定時で帰ることをモットーとする東山結衣がこのドラマの主人公だ。

ほぼ毎日定時で帰ることに対して周囲から嫌味を言われても、主人公はなんとか定時退社を貫く。


ドラマの初回は主人公とは正反対に無欠勤で毎日遅くまで働く"皆勤賞女"三谷が、毎日定時で帰りたいと考える部下の新人小泉と衝突する様子が描かれていた。


小泉が定時で帰ろうとしたとき、三谷は、新人なんだから仕事を覚えるためにもっと残業しろ、という趣旨のことを言うが、小泉は反発する。

また、ある日、始業開始5分前に出社した小泉に対して、なんと三谷は「新人なんだから始業開始の30分前に来ないと遅刻だ」という指導をして、小泉だけでなく他の社員をもげんなりさせる。


ついには新人の小泉は耐えられなくなり、会社をやめてしまう。



ドラマを見て思った。

勤務時間に関して、私は相当いい加減な社員なんだな、と。


ドラマの中の新人は遅刻せずに出社したにも関わらずもっと早く来いと怒られている。

一方、私が新入社員の頃(というか今も)はフレックスタイムなのでいつ出社しても自由だと考え、だいたい部署内で最も遅く出社していた。

フレックスタイム制だったので厳密には遅刻ではないが、定時(9時)よりははるかに遅い。


中には私を咎めてくる人もいたが、


上司等「フレックスだからって理由もなく遅く出社するのは遅刻だ」

ワイ「家で仕事のことを考えていたので、これはもはや出勤していたようなものです。皆さんは家で寝ていたかもしれませんが、私はすでに一仕事終えた気分ですよ」


とかいい加減なことを言う上に、その翌日も平然と遅く出社してくるので、彼らはこいつをどうしたものかと思っていただろう。


ときどき、「言われているうちが華だぞ。何も言われなくなったら終わりだ」といったことも言われたが、「そうですね。ははは」と言って聞き流していた。


もちろん、早く来る理由があるときはちゃんと早く来ていたが、私は夜型人間なので理由もなく無理したくなかったのだ。


そしてしばらくすると本当に何も言われなくなったどころか「必要なときはちゃんと早く来ているんだし、何時から会社にきても自由だ」と上司らが言うまでになった。


これが諦められたということなのか、納得してくれたということなのか、よく分からない。


その後、部署が変わったときも、

①早く出社しろと煽られる

②適当なことをいって遅く出社し続ける

③諦められる

ということを繰り返した。


一方、遅くまで残業することは当時は結構あったが、何かの用事で早く帰りたいときはやはり定時か定時前に帰っていた。


こんな働きぶりだったが、今のところクビになっていないのだから日系企業はそういう意味では優しいのかもしれない。 (出世には悪影響かもしれない)


私はかなりナイーブな人間なのだが、たまに周囲からは精神的に強い人間と評されることがある。

これまでなぜそう思う人がいるのかよく分からなかった。

だが冷静に考えると、何度注意されても気にもせず会社をやめるどころか毎日遅く出社し続ける私の様子を見ていたら、そう思うのも不思議では無いのかもしれない。



ガラパゴス家事になってはいけない【人生に疲れない方法】

今週のお題「新生活おすすめグッズ」

私が大学生になって一人暮らしを始めたとき、私は「家事をしっかりやらなくては」と無駄に意気込んでいた。


家事が好きな人であればそれで何も問題はない。


しかし私は別に家事が好きな訳ではない上にかなりの面倒臭がりだ。

なかなか継続することができない。

実際、必要以上に家事を頑張ろうとしたので、結局継続できず、無駄な労力となったものがたくさんある。


そしてあるとき気がついた。

誰も望んでいないのに勝手にオーバースペックな家事を追求して自滅しているだけではないか。

そしてそこに労力を割くくらいならもっと他のことを頑張った方が良いのではないか。



私と同じような「面倒くさがりなんだけど中途半端に綺麗好きな人」が買うのをやめた方が良い物と、あったら便利だと思う物の一部を下に書いてみる。 ※あくまで個人の考えです



(1)カーペット(絨毯)は面倒くさいからやめる


まず、床がフローリングの部屋を選ぶべき。

そして決してカーペットを敷いてはいけない。


最初、私はカーペットがあった方がどこにでも座ったり寝転がったりできるので居心地が良いのでは、と思っていた。

だけど結局カーペットをやめてフローリングのままにし、イスを置くようにした。

なぜならカーペットは掃除が大変だからだ。


多少髪の毛やホコリが落ちても、カーペットだと一見汚れていないように見える。

見えないだけで汚れはどんどん溜まっているので、知らずに寝転ぶと服に汚れがつく。

自分ならまだしも他人の服にゴミをつけてしまっては申し訳ない。


それにダニも発生しやすい。


頻繁に掃除機をかければいいのだが、やはりフローリングに比べるとゴミが取れにくい。

特に粘着質のゴミや絡まりやすいゴミが曲者だ。


また、掃除機はうるさいので深夜には使いにくい。

ふと夜中に掃除したいと思っても近所迷惑を考えてやめてしまったりする。


醤油などをこぼしてしまったときに拭くのも大変だ。


一方、フローリングなら掃除機でもすぐゴミが取れるし、クイックルワイパーのような掃除グッズでも簡単に掃除できる。

多少粘着質のものでもクイックルワイパーのウェットタイプを使えば割とすぐ取れる。

醤油をこぼしても、大抵のフローリング材なら水をつけたティッシュで拭くだけで取れるはずだ。



私の場合、コタツを置いていたので2年くらいはカーペットで頑張ったが、結局面倒くさくなり、後にコタツとともに廃棄した。



(2)トイレマットと便座カバーは面倒くさいからやめる


私は実家でトイレ掃除をしたことがなかったので、自分のとはいえ最初はトイレ掃除がかなり嫌だった。

だからできるだけ簡単に終わらせたかった。


それにも関わらず、最初は張り切ってトイレマットと便座カバーを置いていた。

何故置いていたのかというと、実家でもそうだったのでこれらは置くものなんだと勝手に洗脳されてしまっていたのだ。


実際には無くても問題がないどころか、むしろ無い方が衛生的だと思っている。


トイレは菌が多く、不衛生になりやすい。


人間が匂いを感じるのは、空間を浮遊する分子を鼻の奥にある嗅覚受容体が感知するからだ。

つまり匂いを発している物質は何らかの分子を飛ばしている。


便が臭いのは便の分子が浮遊しているからだ。

当然、その分子はマットや便座カバーにも付着しているはず。


だから頻繁に掃除しないと不衛生だと感じてしまう。 (人によって感じ方は違うと思うけど…)


便座カバーは取り外しも面倒だし、便座カバーもマットも掃除が面倒くさい。


便座カバーやトイレマットがなければ、まずトイレの床は掃除機またはクイックルワイパーでおおよそのホコリを取り、その後にトイレクイックルで便器とその周辺、床を掃除する。

トイレクイックルはトイレに流せるようにできているので、処分も楽だ。



私の場合、トイレマットと便座カバーは最初の3ヶ月くらい頑張ったが、後にゴミ箱行きとなった。



(3)ロボット掃除機は割と便利


ロボット掃除機は各社出している。

自動で部屋の掃除をしてくれるので、面倒くさがりには向いている。


有名なのはiRobot社のロボット掃除機ルンバだが、私は同じiRobot社が販売している床拭き掃除ロボットBraavaの方が使い勝手が良いと思っている。

ただし、これを使うためには床がフローリングでなくてはならない。


Braavaのメリット1 掃除機と違って音が静かでホコリが舞わない


先ほども書いたが、ロボット掃除機も含めて掃除機は音がうるさい。

深夜には使いにくいし、せっかく自動運転なのだからとテレビを見たり音楽を聴きながら掃除させようとしてもかなり邪魔になる。


また、掃除機で掃除しているとホコリ臭く感じることはないだろうか。

おそらくゴミを吸い込むときにホコリを一部舞い上げてしまっているか、排気口からフィルターを通過した細かいホコリが舞っているんだろう。

そうなると掃除機をかけながらせっかくお茶でもすすってリラックスタイムにしようと思っても、なんだか台無しになってしまう。


一方、床拭き掃除機のBRABAであれば、お掃除シートだけ最初に取り替えなくてはならないが、音も静かだし、ホコリも舞い上げないので邪魔にならない。


なので、リラックスして茶もすすれる。



Braavaのメリット2 乾拭きも水拭きもできる。


お掃除シートを変えることで、乾拭きも水拭きもできる。

乾拭きならホコリや髪の毛を取ってくれるし、水拭きなら掃除機では取れない食べこぼし後などの汚れも取ってくれる。



Braavaの難点は、やはりどうしてもゴミ残りがでてしまうこと、細かい隙間までは掃除できないのでざっくりした掃除になってしまうこと、ゴミが多すぎるとお掃除シート1枚では足りないので交換が面倒くさいことだ。

また、部屋が片付いていないとBraavaが入り込めないエリアが出来てしまうこともある。


私としては全部自分で掃除するよりは楽になると思うが、どうせ完璧じゃないなら始めから自分でやった方が楽という人もいるかもしれない。




私はかなりいい加減な掃除しかしていないが、友人が訪れたときはよく「綺麗な部屋だ」と言ってもらえる。

このレベルであればそれほど掃除が面倒だとも思っていない。


これから新生活を始める人は、力を抜くことも意識して生活の基盤を作っていった方が良いと思う。



令和生まれ「古っ!平成臭がする!!」



もうすぐ元号が変わり、平成から令和になる。


時代が変わると言うけれど、平成と令和は偶然このタイミングで区切られるだけで、理論上ここで政治的・文化的に大きな変化が起こる訳ではない。


とはいえ私は単純な人間なので、新しい時代が始まり、それが楽しみだという感覚がある。


おそらく、今後、マスコミや企業が令和という新しい元号にかこつけたキャンペーンや広告を打ち、否が応でも令和が新しい時代で平成が古い時代だと認識させられることになるのではないだろうか。



平成時代の昭和に対応するのが、令和時代の平成だ。

平成は古い時代を意味する言葉になる。


令和になってから「Hey!Say!JUMP(平成ジャンプ)」と言うと、平成時代に「昭和ジャンプ」と言うのと同じような響きになる。


令和になってから「平成狸合戦ぽんぽこ」の話をすると、平成時代に「昭和狸合戦ぽんぽこ」と言うのと同じようなイメージで捉えられ、「えっ!?平成はまだその辺に狸がいたんですかぁ?」と真面目に言う人が現れる。


ハロウィンで騒ぐ人達の映像は、ジュリアナ東京の映像を見るときに感じるのと同じように「なんでこんな騒ぎ方をしているのか意味不明」という印象を与えるかもしれない。


古臭いことや寒いギャグを言うと「平成臭い」と言われるようになる。


「平成はまだそんなに古くないでしょ」と言うと「時代の変化にまだ気づいていない平成の老害」と一蹴される。


それでも新しい時代が少しだけ楽しみだ。


聞いたばかりのときは多少違和感があったが、冷静に考えると令和という言葉は平成よりかっこいいかもしれない。



結婚式なんてやらなくてもよかったなんて誰にも言えない理由


こんな話を耳にしたことはないだろうか。

「結婚式をやらなくて後悔する人はいるけど、やって後悔する人はいない」

「最初は嫌でも、終わってみるとみんな結婚式をやってよかったと思う」


私はこれらの言葉が確実に間違いだと言い切れる。

なぜなら私が結婚式なんてやらなければよかったと思っているからだ。

少なくとも「やって後悔する人は"いない"」「終わってみると"みんな"結婚式をやってよかったと思う」は絶対に正しくない。


ところが、あなたは実際に結婚式をやって後悔している人を見たことがあるだろうか。

おそらくあまりないのではないか。


ひとつの事実を教えよう。

私も滅多に「結婚式なんてやらなければよかった」と正直に言うことはない。

その主な理由は下記の3つだ。


①結婚式参加者に聞かれたら気まずいから


普通の神経を持った人間なら、わざわざ結婚式に来てもらっておいて、「やっぱりやらなけりゃよかった」とはなかなか言えないのではないだろうか。

そのためにせっかくの休日を使わせたんだし、ご祝儀ももらったなら尚更だ。


②結婚相手が満足していて言いづらいから

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自分は結婚式なんてしたくなかったのに、パートナーに押し切られてやる人もいるだろう。

世の中には結婚式なんてやりたくないと言われただけで怒り出すような人もいるようだ。

なんとか我慢して結婚式が終わってくれたのに、これ以上不機嫌になられても辛いはず。

当事者からするとやはり言えないのだ。


③結婚式を夢見る人にとっては不都合な真実だから


結婚式を否定されるとヒステリックになる人がいる。

それは、いつか結婚式をやることを夢見ている人や、ブライダル業者で働く人達などだ。

こういう風説が広まるのは困るのだろう。

こういった人達が冒頭のような言葉を言う。

また、「結婚式しない夫婦は離婚率が高い」などと言った主張をする。

実際の割合がどうなっているのか知らないが、少なくとも結婚式したにも関わらず離婚する人はたくさんいる。

結婚式しなかったくらいで離婚するなんて、どちらにしてもうまくいったとは思えない。



なお、私の母はこう言っていた。

「昔は結婚式をしないといけない雰囲気だったからやったけど、今考えると別にやらなくてもよかった。結婚式にお金をかけるより、もっと別のことに使った方がよかったと思う。」

私がまだ結婚式をやる前に言ってくれたことだが、こうやって正直に言ってくれる母で本当に良かったと思った。

なお、母以外でも、普段から深い関わりのない人であれば、「結婚式なんて無駄だった」と正直に言ってくれることもある。

「結婚式は当然やらなければならない」という洗脳から多くの人が解き放たれてほしい。


花見の名所より道すがらで見る桜の方が感動するんだが…〜ついに花見が面倒なお年頃に〜

今週のお題「桜」



花見の前のワイ

みんな「お花見行こう!」

ワイ「やった!行こう行こう!」

当日…

ワイ(寒いー。早く帰りたいー)


以前は花見に誘われると喜んで行っていたが、いざ行くと寒いし準備片付けが面倒だしでやっぱりやめておけばよかったと思ってしまっていた。

しかも花粉の季節なので、花粉症でクシャミが出るのか、寒いから風邪をひいたのかすらよく分からない。

毎年しんどいと思っているのに、翌年になるとそのことを忘れて何故か喜んでまた花見に行ってしまっていた。


そもそも寒いのはたまたま天気が悪かったからだと思っていたような気もする。

よく考えたらだいたい桜が咲く時期はそこそこ寒いのだし、普段室内で過ごしている人が長時間外に座って冷めたご飯を食べているのだから、寒いと感じることは必然なのだ。


なのに毎年忘れて喜んで行っていたのだから、無邪気…というか、ただのアホだった。


世の中には花見が強制の職場もあるらしいが、私の会社では花見の習慣がないので本当に良かったと思う。



最近は花見に行くとしても、レジャーシートと弁当を持って…というような大げさなものではなく、ただ花見スポットを歩く程度にしているが、最近はそれすらも正直面倒になってきた。


よく見ると案外いろんなところに桜は咲いている。

電車の窓から見えた桜や、歩いて道すがらに見えた桜の方が、わざわざ花見スポットに行って見る桜より感動するのは私だけだろうか。


スポットになっているくらいだから、桜の数も多いし、場所によっては多くの種類の桜が咲いている。

単純に並べて比較したとしたら、花見スポットの桜の方が優れているということになるだろう。


少し話が逸れるが、面白いことを言います!と最初に言うと、笑わせるためのハードルが上がってしまうので極力やらないのがお笑い芸人の常識らしいが、これはそれと同じかもしれない。


素晴らしい桜があると思って見に行くと、その想像を超えない限り強い感動はない。

一方、何気なく見た日常の景色に溶け込んだ桜は、ただ咲いてるのを見つけただけでも嬉しい。


これは私が珍しいのだろうか。

それともみんなイベント好きだから花見スポットに行っているだけで、本音は私と同じという人も多いのだろうか。

もし私と同じように感じている人がいれば、教えてもらえると嬉しい。


まあでも、花見が面倒に感じるというのはそれだけ若くなくなったということかもしれない。