意識中くらい系ゆる社員

会社の使いこなし方を模索するゆるい会社員。会社を使い倒す話とゆるい生活のための知恵、雑談ネタ。

残業が少ない会社に転職したい人も「残業が少ない会社ランキング」はあまり鵜呑みにしない方が良いかもしれない【会社を使い倒す話】



先日、転職情報サイト、キャリコネが年代別に平均残業時間の少ない企業を発表した。

なお、「日経業界地図2018年版」に掲載されている企業のうち、登録者の口コミが10件以上あった企業の中から、平均残業時間の低い順に並べたものだそうだ。 対象期間は2017/4/1-2018/3/31。


・20代の残業が少ない企業ランキング https://www.google.co.jp/amp/s/news.careerconnection.jp/%3fp=66588&=1

・30代の残業が少ない企業ランキング https://www.google.co.jp/amp/s/news.careerconnection.jp/%3fp=66599&=1

・40代の残業が少ない企業ランキング https://www.google.co.jp/amp/s/news.careerconnection.jp/%3fp=66514&=1


これらの年代別ランキングを一つにまとめると下の表のようになる。



順位 20代 30代 40代
1位 第一生命保険
9.9h/月
キャノン
13.0h/月
日本郵便
11.1h/月
2位 日本郵便
14.0h/月
本田技研工業
17.4h/月
日本生命保険
12.9h/月
3位 トヨタ自動車
15.6h/月
リコー
18.6h/月
シャープ
24.6h/月
4位 デンソー
16.7/月
NEC
25.0h/月
東芝
24.8h/月
5位 イオンリテール
19.6h/月
富士通
29.0h/月
日産自動車
27.5h/月



ここで、あれっ?と思った。

年代によって順位が全く違う。

日本郵便は辛うじて20代と40代の両方にランクインしているが、その他の企業はどれかひとつの年代にランクインするのみだ。

それに残業が多いと聞いたことがある企業も多くランクインしている。


なぜこんなことになるのだろうか。

ゆる会社員の私としてはこのランキングは少し気になるが、ここにランクインする企業は本当に残業が少なく社員に優しい会社だと考えて良いのだろうか。

それともあまり鵜呑みにしてはいけないデータなのだろうか。


企業が残業が少なくする理由の一つに、事業縮小を目的とした人件費削減がある。

反対に、成長している事業であればどうしても残業が多くなりがちだ。

各企業のデータは、転職情報サイトキャリコネの登録者からの情報を集計したものだという。

このため母集団が転職したいと考えている人に偏っていることが想定される。


転職したいと考える理由はそれぞれだが、ランクインした企業の回答者の大半は残業が少ないはずなので、少なくとも激務がその理由とは考えにくい。

残業が少ないことと併せて考えると、例えば事業が収束に向かっているなど、現職に将来性がないと考えている人達なのかもしれない。

実際、ランクインしている企業は最近不調のところも多そうだ。


通常、収束させる事業にはあまり新入社員を配属させない。

なので、せっかく残業が少ないと思って入社したのに、入ってみたら残業だらけの忙しい部署に配属された、ということも大いにあり得る。


実際、私の会社でも部署によっては労基違反ギリギリのところもあれば、毎日定時で帰る部署もある。

従業員が毎日定時で帰っている部署はすでに人が足りているので、あまり新人が入ってこない。


単に残業が少ないところで働きたいという人は注意してほしい。


ちなみに基本的には私も残業をせずに早く帰りたい派だが、むしろ好んで残業していた時期もあった。


もちろん、やりたくもない仕事を深夜までやっていたこともある。

だが、単純に自分の好きなことをするために残業していたこともあったのだ。

こう聞くと社畜だと思うかもしれない。

「会社に洗脳されているぞ。目を覚ませ。」と言う人もいるかもしれない。

むしろ社畜であったならまだ聞こえが良いと思う。


実際はしなくても良い残業を勝手にしておいてしっかり残業代をもらう困った社員だったのだ。


残業時間には、新しいことを考えたり試したり、いろんなアイデアや将来自分たちがやるべき仕事について話あったり、興味のあることを勉強したりしていた。


会社から言われてやっているのではなく、ただ面白くて気楽に残業していた。

そうすることでスキルが身についた部分もあったと思う。

ちなみに早く帰りたければ大抵は問題なく帰れた。

結果的に給料を貰いながら自分のスキルを磨いていた。


残業時間はこのランキングにとても入らないであろうくらいに多くなっていたが、今になって思うと、こんな感じで残業している人たちに残業代をしっかり払ってくれるのだから、むしろ相当優しい会社だったのかもしれない。



会社に金を使わせれば使わせるほど人材としての価値が高くなる【会社を使い倒す話】

 

必ずしも終身雇用が保証されなくなった今、会社に散々都合よく働かされたあげくリストラされる、ということは常に起こりうる。

 

だが会社に使い捨てされるのを恐れて過ごすのではなく、こっちが会社を使い捨てるんだ、くらいの気持ちでいたいものだ。

 

会社の持つ資産・人材・ブランドや、会社員としての信用・安定・福利厚生などを使いこなして最大限に自分も得をするように動きたい。

 

そこで今日は「会社に金を使わせれば使わせるほど人材価値が上がる説」を唱えたい。

 

身につけさせるためのコストが大きく需要もある能力は価値が高い

 

いくら企業から需要のある能力でも、誰でも簡単に身につけられる能力であればあまり価値が高いとは認識されない。

 

一方、世の中のほとんどの人ができないことでも、世の中から求められていない能力では価値が高いとは言えない。

(例えば鼻から牛乳を出せる能力とかは今更需要ないので価値が高くない)

 

需要が高く、かつ、他の人にはできない、そんな能力は価値が高くなる。

なお、ここでの「価値が高い能力」というのは、それがあればいつでも雇ってもらえる能力、(企業または一般顧客から)高い対価を支払ってもらえる能力、といった意味で使っている。

 

100%生まれつきの特性によるものを除き、一般的には他の人ではできない能力を身につけるには時間的・金銭的なコストをかける必要がある。

 

時間的なものは個人の努力によっても稼ぐことができる場合もあるが、金銭的コストを多量にかけることは通常難しい。

 

そこで、会社からお金をかけてもらって経験を積み、能力を磨こうという発想が出てくる。

 

お金をかけてもらって能力を磨くというのは、色々なパターンがあるが、例えば社員研修のようなもののことだけではない。

もちろん、社費留学や資格取得の費用を出してもらうというように能力開発のために直接的にお金を使ってもらうことも人材としての価値を上げる。

だが、それだけでなく、単純にお金を使って仕事をすること自体もその人が持つ経験の価値を上げる場合がある。

 

何億円で仕事を外注して目的を達成させたり、何十億の開発費を使って製品を完成させたり、何百億で事業を買収したり、というのは、通常は経験できる機会が少ない。

 

場合によってはそういったことをしていたという経験自体を高く評価されることもあり得る。

 

なぜなら、それと同等の経験を他の人に積ませようとすればコストがかかるからだ。

 

企業からすると、他の人にコストをかけて育てるより、特別高い給料を払ってでもすでに経験・能力を持った人を雇いたい、ということは起こりうる。

 

これはある意味ではズルいやり方だ。

仕事として大金を使うのはプレッシャーもあり意外と大変だが、お金を使える立場にないと経験できないことだからだ。

 

元々大金持ちの家に育ったのに景気悪化で父親が破産して貧乏になった人が、金持ち時代に高価な物にたくさん触れていたがために物の価値を見極める優れたセンスを持ち、そのセンスを活かして自分の力で再度金持ちになった、という人の話をたまにテレビでやっている。

 

これも「高い値段がつくもの」に囲まれて過ごすような金持ちだったから身につけることができた能力だ。

この人は子供時代に特別意識してそのための努力をした訳ではなかったはずで、一般庶民と異なる特殊な環境がこの人を育てたことになる。

庶民が頑張ってもなかなかこの能力を体得するのは難しい。

 

会社にお金を使わせて仕事をするということにも同じことが言える。

どんどんお金を使わせることで、他の人にはなかなかできない経験を蓄積できるのだ。

 

 

金をかけて育てた人材ほど手放すのが惜しくなる

 

男女どちらの場合でも大金を貢いだ相手にあっさり裏切られたら損した気持ちになるはずだ。

せっかくここまでお金をかけたのにリターンを受け取るまでは手放したくない、と思うかもしれない。

 

これは人事担当でも同じはずだ。

せっかくコストをかけて採用した新入社員がすぐにやめてしまわないようにするためにはどうすれば良いかというのは人事の悩みの定番の一つだが、これと似ている。

 

入社後にコストをかけて何年も育てたのに、ようやく貴重な人材に育ったと思ったらやめてしまった、ということになれば、「ちょっと待ってくれ」となるだろう。

 

人事だけでなく、管理職も通常人材育成の義務を持つ。

良い人材を育てたとなれば、それだけ評価も上がる。

一方、せっかく大事に育てた部下がやめてしまうとなれば、今までのコストが無駄になったということで上司の評価も下がる。

 

つまり、金をかければかけるほど、会社側にとってやめてもらっては困る社員になっていく。

 

ちなみに、最初に貢ぐ人の例え話をしたが、仕事ではなく、プライベートで他人からお金をもらうのは私としてはあまりオススメしない。

 

一方的にお金をもらうというのは不公平な関係性だ。

お金をあげる側からすれば、表面上は良いと言っていても、お金を貰わなくても付き合ってくれる相手に比べたら、お金を貰い続ける人間はどう考えても理不尽な相手だ。

お金をかける度に必ず相手を少しだけ嫌いになっている。

いつかお金をあげている側が冷静になったとき、損切りされるだろう。

損切りどころか復讐される可能性すらある。

もちろん直接現金をもらう場合だけでなく、何かを買ってもらい続けるのもほとんど同じだ。

 

 

会社に金を使わせ過ぎて損切りされないためには会社のためになる理由を作る

 

では会社にもいつか損切りされるのではないかというと、必ずしもそうではない。(もちろん損切りされる可能性はある)

 

金を出すか出さないか決めるのは上司、人事、経理などだとしても、実際のお金は彼ら個人の懐からではなく、会社や部門として持っている予算から出す。

だから個人からお金をもらい続けるのと比べたら恨みが少ない。

 

だからといって会社の正常な運営を継続するためにタダでお金をあげ続ける訳にはいかない。

先程のプライベートで貢ぐ話とは異なり、会社の利益になるからこそお金を使わせるのだ。

常にその正当性を主張していく必要がある。

 

そしてその主張を認めてもらうためには、普段からこの人にお金を使わせる価値があると思われるようにしておく必要がある。

 

誰でもその信頼を最初から持っている訳ではない。

だが、もし今その信頼がなくてなかなかお金を使わせてもらえないのであれば、ちょっとしたことからやれば良いのだ。

例えば、少しだけ費用をかけて何かを効率化したとか、少しだけ費用をかけたけど結果として全体のコストを下げたとか、そんなことでいい。

 

そういうことを繰り返していると、上司からすれば毎回精査して承認するのが大変なので、もう任せるから勝手にしてくれ、という状態になってくる。(もちろん不正は論外)

会社の利益にもなるようにすることを忘れないようにしつつ、いつのまにか使う金額を上げていけばいい。

 

会社に使われるだけではなく、自分のために会社を使いこなそう。

 

 

 

会社員向いてないなぁ→向いてる仕事なんてなかったw【会社を使い倒す話】

 

ある日の会話…

ワイ「なんか最近疲れてるなぁ。やっぱりサラリーマン向いてないのかな。やめようかな」

トッモ「昼出社したり早退したり散々有給とってこれだけゆるい生活してるのに、これに耐えられないんだったら他に何もできへんで」

ワイ「そやな」

…終了

 

 

自分でも私は会社員に向いてないと思うし、他の人からもそう言われることはある。

だが心の奥底では気づいている。

会社員以外の仕事も向いてないということに。

 

会社員はやめたくなったらいつでもやめられる。

一方、いわゆる新卒カードを使わずに後から大手企業に就職するのは一般的には難しいと言われる。

学生のときにはそんなことを考え、消去法的にとりあえず会社員になってみたのであった。

 

今の会社が面倒だと思うことはよくある。

しょうもない雑用も多い。

会社員とはいえリストラのリスクもあるし、生涯安泰とも限らない。

 

会社をやめて起業してみたいと思うこともあるし、転職を繰り返してステップアップしてみたいという考えもある。

そうやって挑戦してみたい気持ちも確かにあるのだ。

 

だが会社を辞めたとして、大したことができるだけの力が私にあるのかと考えると、あまり自信がない。

それに今の仕事そのものは面白いと思っている。

しょうもない雑用があったり、給料が上がりにくいことには不満だが。

 

私が現時点でやるべきことは、今の会社の社員であるうちに会社員の立場を使い倒して自分を鍛えたり、会社制度を使い倒して自分のライフスタイルを模索することだ、と考えている。

 

そうしていつでもやめられるだけの力をつけたり、むしろ会社員の方が自由で楽しく仕事ができるというような働き方を確立できたら、やめようがやめまいが楽しく生きられるはずだ。

 

 

 

 

 

ワイ、面倒な仕事を冷たく断る【会社を使い倒す話】

 

ある仕事が終わった後の会話…

 

課長「すばらしい」

部長「この仕事は君にしかできなかった」

別部署の部長「ここまでのものは過去に見たことがない」

部長「次回もよろしく頼む」

ワイ「二度とやりません」

本部長「本当によくここまで仕上げた。大変だっただろう。労いの意味を込めて今日は飲みに行こう」

ワイ「疲れたんで帰ります」

 

 

ある仕事が一区切りついたとき、自部署他部署の課長・部長、さらにはその上の本部長達にまで、めちゃくちゃ褒められた。

そして次も頼む、とその後何度も言われたが、二度とやらない、と断固拒絶した。

 

それでもクビにはならない。

会社員でも多少の選択の自由はあるものだ。

 

 

 

ちなみになぜその仕事を二度とやりたくないかというと、大変な割にあまり価値を見出せなかったからだ。

 

事業立ち上げを社内で承認してもらうために、あれやこれやとデータを集めたり理論構築したりして100ページ程度の資料を作る。

そして関係各所に説明し、指摘されたことに対して反論するか修正するかを繰り返す。

最後に本部長クラス数名と部長以下数十名の前で説明して承認をとる、というものだ。

 

これだけ聞けばそれなりに重要な仕事に思えるかもしれないが、実際には事業を立ち上げるための本質的な仕事ではなく、社内の関係各所に理解してもらうためだけの活動だった。

1つの資料を仕上げるために、協力してくれない現場担当と監査担当たちから私一人が責められまくる。

つまるところ単なる社内調整である。

 

通常こういうのは上司の仕事だが、上司が面倒がったので私が犠牲になったのだった。

 

 

 

 

ニューヨークにトイレが無さすぎて地獄を味わう

 

ニューヨークにて…

ワイ(モジモジ…寒いからトイレ行きたくなった…でも全然公衆トイレがないな…)

アメリカ人「寒いから温かいコーヒー買ってきてやったぞ」

ワイ「サ、サンキュー。ゴクゴク…」

10分後…

ワイ(コーヒーの利尿作用でさらにピンチやで)

 

 

私はお腹が弱いだけでなく頻尿でもある。

冬場は特にそうだ。

 

これを体に老廃物が溜まりにくい体質だと肯定的に捉える人は少数派で、普通の感覚の人であれば困った体質だと考えるはずだ。

 

そんな私が海外出張へ行くときは、チャンスがあれば必ずトイレへ行く。

 

空港や駅、レストラン、取引先の会社、ホテル、あらゆるところでとりあえず行っておく。

 

ところが、そんな細心の注意を払う私ですら、ニューヨークのマンハッタン(中心部)では地獄を見た。

 

全くトイレがないのだ。

 

スーパーやドラッグストアに行ってもトイレを解放していない。

それどころか、駅ですらトイレがなかったりする。

ランドセントラル駅というマンハッタン中央の駅ですら、トイレが1つあるのみだった。

トイレ1つ、というのは1箇所というだけの意味ではない。

1箇所に男女兼用のトイレ(便器)がひとつあるのみだったのだ。

そのせいで朝はいつも行列が出来ていた。

 

日本に帰った後、昔はニューヨークに住んでいたというアメリカ人に聞くと、レストランなどに入って何か注文しないとトイレを使わせてもらえないものらしい。

日本はどこに行ってもトイレがあって楽だと言っていた。

 

しかもカフェにでも入れば良いかというと、必ずしもそうではなく、たまにトイレを使わせない店もあるらしい。

これは想像すると地獄だ。

 

トイレに行きたいからカフェに入ったのに、注文してからトイレがないことに気づき、じゃあトイレはどうしたらいいんだとゴールが見えない状況のまま利尿作用のあるコーヒーを飲まなければならないという絶望の闇の中でしばらく耐えなくてはならない。

 

ニューヨーカーはよく生活ができるなと思っていたが、そんな状況なのでやはり膀胱炎になる人もいるらしい。

 

全体としてトイレが少ないのだが、あっても閉鎖されているところもあった。

想像するに、これはテロ対策の意味もあるのかもしれない。

 

あるカフェではトイレへ行こうとすると、なんと入口に鍵がかかっていた。

店員に頼んだら開けてもらえたが、わざわざ頼まないと使えない。

英語を全く話さなければ他を当たるしかなくなってしまう。

 

仮に自分がニューヨークに住むとすると、言葉の壁、人種の壁、文化の壁、と色々な壁があるのだろうと想像していた。

だが実際は頻尿の壁が最も超えられない壁なのかもしれない。

 

 

 

 

 

ゆる社員ワイ、理由もなく昼過ぎに出社しておいて平気で定時退社をキメる【会社を使い倒す話】

 

 

私の兄はある事務所を経営している。

昔はバリバリ働くそこそこのエリートサラリーマンだったが、激務な上に上司と反りが合わず嫌になってやめたようだ。

 

今は兄自身が経営者なので時間に自由が利く。

やる気が出ない日は昼過ぎに出社したり、早く帰ったり、休みにしたりしている。

 

一方、私は会社員だ。

会社員は忙しくて大変だろ、時間の融通も利かないし、と兄から言われる。

いつも私は「そうだね。」と答える。

 

よく会社員は自由がないと言われることがある。

毎日同じ時間に出社して、上司の言うことをよく聞き、残業して帰る。

 

学生の頃、自分はこんな生活に耐えられないのではないか、と考えていた。

特に、毎朝早起き、というのが私には続けられる気がしなかった。

いつか必ず遅刻してクビになる日が来るだろう。

生涯働くということ、それは私にとって絶望でしかなかった。

 

ゆるい自分に合う仕事とは何かを考え、比較的時間に自由が利き、かつ、自分の興味がある仕事を選んだ。

 

その結果…

 

…11時頃…

ワイ「今日は昼過ぎに出社します」

上司「了解」

…14時頃出社…

ワイ「お疲れ様です」

上司「お疲れ様」

…17時頃…

ワイ「今日は帰ります」

上司「お疲れ様」

 

で終了という職場に今はいる。

ちなみに定時は9時-17時半だ。

 

遅れて出社した理由は「寒くて布団から出たくなかったから」だ。

 

定時で帰った理由は「疲れた」からだ。

 

別の日は休みにしたり、別の日は定時前に帰ったりすることもある。

 

ちなみに裁量労働制なので勤務時間が短くても給料は変わらない。

 

兄に対してはいつも忙しいかのように言っているが、実は何かのときの断りの口実を作るためそう言っているのだった。

 

一応、弁明しておくと、ゆる社員といっても仕事をしない社員という訳ではない。

会社に来て新聞を読んで帰るだけというようないわゆる社内ニートでは決してないつもりだ。

 

遅刻・早退・有給休暇をふんだんに使う代わりに、帰社後も深夜まで仕事のことを考えていたり、休みの日に資料を作ったりすることもよくある。

必要なときは定時より前に出社して遅くに帰る。

だから実際のところそんなにはゆるくない。

周りからはゆるく見られて損をしているが。

 

仕事は会社の中だけで完結させて家では一切仕事しない、という働き方はメリハリがあって良いように言われる。

私も決して悪くはないと思う。

これは時間を固定してメリハリをつけるやり方だ。

 

一方で、私のように、あるときは土日でも深夜でも仕事をするが、あるときは昼出社したり定時前に帰ったりする、というのもメリハリの付け方のひとつではないかと思う。

これは自分のモチベーションをベースにメリハリをつけるやり方だ。

私にはこちらの方が合うと思っている。

 

ちなみに私の会社は以前から制度上ではこういったフレキシブルな働き方を認めていたが、実態としてはなかなか浸透してこなかった。

 

上述の2つのメリハリの付け方で言えば、前者のタイプが多いことがひとつの理由になっているのかもしれない。

私の会社は古い会社で、いわゆるコンサバティブな考えの人が多い。

子供の頃からよく勉強するような我慢強い人が多いので、毎朝早くに出社する、という生活にもそれほど苦もなく耐えられるのかもしれない。

 

実は私以外の社員はあまり遅刻しない。

私自身も昔は注意されたこともある。

 

だが、他の人が嫌がるような成功率の低い仕事をやり、それである程度の成果が出てくると、あまり言われなくなった。

 

少なくとも私にはこの働き方の方が成果を出しやすい。

 

昨今は旧日本的な非効率な職場は敬遠されがちだ。

その非効率さが自分のメリットになるなら良いが、そうでなく無駄な我慢を強いられるだけだと学生に捉えられたら、彼らがもっと先鋭的な企業へ流れてしまい、優秀な新人の確保が難しくなる。

さらには現在所属している優秀な社員もやめてしまうかもしれない。

そういう危機感も多少はあるようで会社も変わろうとしている。

 

必ずしも独立などせずに会社員のままであっても、ある程度自由な働き方は可能なのだ。

しかもこの先はもっとそれがやりやすくなるはず。

 

起業などで独立することを否定するつもりもないし、私も自分の力で挑戦してみたいと思うことはある。

 

ただ会社員という働き方も悪くはないと思う今日この頃である。

 

 

この世で一番大切な「カネ」の話

 

だいぶ昔に読んだ本でとても面白いと思ったものがある。

西原理恵子さんの「この世で一番大切なカネの話」という本だ。

西原理恵子さんは漫画家だが、この本は漫画ではなく、自身の経験を綴った自伝的小説だ。

読んだのは何年も前なので細かい部分は忘れてしまったが、この本は本当にお勧めしたい。

この本を読んだことで自分の甘い考えが少し変わった気がする。

 

特に、下記の言葉が気に入っていた。

 

・自分探しの迷路は、「カネ」という視点を持てばぶっちぎれる

・自分で「カネ」を稼ぐということは、自由を手に入れることだった

 

将来は絵を描きたい、音楽をやりたい、と夢見ている人がいるとして、どうしたらその夢がかなうか、と考えるのではなく、どうしたらそれで稼げるか、という考え方をするべきだと書いている。

 

つまり「金にならなくてもいいから続けたい」というプライドだけでは結局続けられないが、金を稼ぐために自分をどう差別化するべきか、ということを考えれば、夢に近づける、ということだ。

 

私は昔、自分のやりたいことをやれてさえいれば収入なんてどうでも良い、と思っていた。

だが、実際には稼ぐ能力(私の場合は会社に稼がせる能力)を磨かなければ、やりたいことを続けることもできないのだ。

 

また、自分で金を稼ぐことで、誰かに依存した生活から抜け出せる、経済的な自立が自由を作る、ということも言っている。

 

 

自立というと、まれに一人暮らしできる家事能力があることを指して言っている人がいる。

しかし、一人で生きていくために経済力と家事能力のどちらが必須かといえば、間違いなく経済力の方だろう。

 

親元を離れてひとり暮らししていても、仕送りがないと生活できないようでは自立しているとは言えない。

仕送りを貰っていなくても、彼氏彼女や配偶者にお金をもらわないと生活できないようでは自立とは言えない。

ある特定の人がいなくなっただけで生活ができなくなるようでは、自立とは呼べない。

 

そして、原始時代や文明の未発達な地域なら別だが、大抵の場合、お金があれば家事なんかできなくても全然生きていける。

また、家事は覚えたらやればいいだけなのである程度はすぐにできるようになるが、お金を稼ぐことについては自分の価値を認めてくれてお金を払ってくれる人がいなければ稼ぎようがない。

それだけお金を稼ぐことは貴重なことなのだ。

 

ところで、働いて稼いでいるにしても、自立にはレベルがあると思う。

 

レベル1 : 仕事はしているが、自分の収入だけでは生活できない

レベル2 : 生活するに十分な収入はあるが、自分の会社や特定の顧客がいなくなったら生活できない

レベル3 : 十分な収入があり、自分の会社や特定の顧客がいなくなっても、いくらでも代わりがいる

 

私はおそらくレベル2になると思うので、これからはレベル3を目指したい。

 

お金があれば「嫌なやつに頭を下げなくて済む」。

これは西原理恵子さんも言っていた。

 

お金では買えないものがあるのは確かだが、お金があれば、好きなことを続けられるのだ。

 

金儲けなんて汚い、とか言っている場合ではない。